豆腐

まだ夏じゃない

その残像と残響音

 ※旧ブログ記事のリサイクル

 

 

さよならピアノソナタ―encore pieces (電撃文庫)

さよならピアノソナタ―encore pieces (電撃文庫)

 

 

 

たとえば久しぶりに行ったスタジオ。残り時間はあとわずかで、せいぜいあと3~4曲やれるかどうかだ。後片付けの時間も含めれば3曲が精一杯だろう。なにしろ後がつかえている。早めにいこう。
そんな風に示し合わせて始まるのは、果てしなくとっちらかったロックだ。レコーダに記録された音源を後で聴けばわかる。とても人様に聴かせられるようなものではない。
しかしそれはやはりロックなのだ。砕け散るシンバルと、腹の底を揺らすベース。目一杯歪んだギターのバッキングと、すでに掠れきったボーカル。プレイしている僕たちが感じるのはビートと、果てしない熱源。
僕たちはただのコピーバンドだ。でも、今感じているものは誰のものでもなく、僕だけの、僕たちだけのものだ。


改めていう事ではないけれど「さよならピアノソナタ」は音楽の物語だ。音楽を絆とした人々の物語だ。それは甘やかな優しさや、刺すような悲しみや、凍えるような寂しさや目も当てられないようなみっともなさや、手をきつく握り締めてしまうような理不尽さが溢れている。残念なことに、僕は彼らや彼女たちみたいな青春(といっていいだろう)を送る事はなかった。せいぜい客のまばらな学校祭でコピーバンドの一員としてギターを弾いたくらいだ(もちろん女の子なんていなかったよ!)。それでも僕は、ナオミや真冬や千秋や神楽坂先輩、それからユーリのことを、昔ながらの友達のように感じている。それはただ一点、音楽という、ある種もっとも原始的なコミュニケーションのひとつを、自分のものとして知っているからだと思う。


たとえばライブ。僕が聴きに行くのはほとんどがロックで、中でもBRAHMANというバンドが来札した際は、ここ10年ほどは必ず行っている。
聴きに行くとはいっても、その実、彼らのライブはある種戦いのようで、休んでいる暇は無いに等しい。なにしろMCがない。最初から最後まで、僕を含めたオーディエンスは、文字通り狂ったように暴れる。
息をするのも難しいくらい密集した僕たちは互いに体をぶつけ合い、モッシュを繰り返す。あるものは誰かの肩を借りてダイブする。誰かの体が僕の頭の上を転がっていく。誰かの悲鳴にも似た叫びが一瞬耳に届く。ステージの上ではBRAHMANがさながら格闘技のようなモーションで動き周り、そこから僕らに真正面から音楽が叩きつけられる。そこでは誰もが感情を剥き出しにしている。狂っていると言い換えられるかもしれない。そうさせているのは何者でもない、ただの音楽だ。


なにしろ音楽というものは不思議なものだ。ただの音階の順列が僕らの心を果てしなく揺さぶるのだ。あるときは傷ついた心を静かに癒し、あるときはうすのろな僕のケツを蹴っ飛ばす。あるいは僕の血液を沸騰させ、僕たちを狂気に染め上げる。それはすばらしいことでもあり、恐ろしいことでもある。
ある意味では、ナオミたちは音楽に翻弄されているのかもしれない。現に彼らは何度もばらばらになりかけていたのだ。なにしろ音楽というやつは未だに得体のしれないものだし、これからもその正体が明かされることはないだろう。
特にロックというやつは危ない。だって冷静になって考えてみればいい。お互い顔も名前も知らない連中が、ひとつの旋律のもとに汗やら鼻水やら、ときには血を流しながら暴れまわるのだ。正気の沙汰じゃないだろう?


僕はこの「アンコール」を発売日に購入し、つい先日まで手につけていなかった。読むことができなかったのだ。だって僕はこの物語がほんとうに好きなのだ。彼らのことがほんとうに大切なのだ。本編は終了しているとはいえ、このアンコールを読んでしまえば、「ピアノソナタ」はほんとうに終わってしまう。もう彼らに会うことができなくなる。そう思ったら、どうしても読めなかった。こんな物語は、ひょっとしたらはじめてかもしれない。
しかし何事にも終わりはやってくる。それは万物にとって決まっていることだ。


ライブだってそうだ。いつかは必ず終わる。時間の感覚はとうに溶けて消えて、首や背中や足には数え切れない打撲が刻まれ、もう立っているのがやっとだって状態なのに、僕は必死にアンコールをせがむ。まだ終わらせたくない。必死にそう願う。そうして再びステージに現れたメンバに、僕は歓声をあげる。もう少しだけこれが続くのだ。そう思うと、疲れ切ったはずの体と心が、少しだけ力を取り戻す。もうすぐこのライブは終わる。だから残りの熱狂を精一杯受け止めよう。そして、やがて来る終わりを受け止めよう。このアンコールは、僕に与えられた猶予期間なんだ。


この「アンコール」も、そんな風に思い込むことで、ようやく読み始めることができた。そうとでも思い込まないと読めなかった。終わらせるんだ。終わらせなければいけない。これ以上後に残すのは、僕にとっても、なにより物語にとって不幸だと思ったから。そう言い聞かせて。
はじまってしまえば、それはあっという間だった。僕はむさぼるようにして、この「アンコール」を読んだ。そこには変わらないままの彼らがいて、あのころとはまた違った彼らがいた。頭から最後まで、僕は彼らの物語を精一杯楽しんだ。
おかげで僕は翌朝寝坊して、ありもしない私用のために、午後から出社すると会社に電話を入れなければならなかった。しかしそれだけの価値はあった。


繰り返しになるが、音楽は信じがたいまでに強く、そして恐ろしい力をもつものだ。しかし、ナオミたちを深く結びつけたのも音楽だ。それが彼らを立ち止まらせ、背中を押し、ばらばらにし、最後には誰もが揺るがないところまで運んでいった。「ピアノソナタ」を最初から最後まで楽しんだ僕たちは、それを見届けた。もう彼らは揺るがないのだ。僕たちはそれを知っている。


結局のところ、僕たちがフェケテリコの音楽を実際に耳にすることはなかったし、これからもないだろう。僕としては聴きたくてたまらないのだけれど、仕方の無いことだ。
しかし、その音楽や、彼らのこれからを想像することはできる。それはスタジオで、ふとした瞬間に始まる無邪気なセッションのように心躍るものだ。あるいは、ライブハウスを出た後に、汗が乾いていくのを感じながら見上げる夏の夜空みたいに、どこまでも伸びやかなものだ。

迷い無く刻まれる16ビートと、かき鳴らされるレスポール。煌びやかなストラトキャスターの響き、たったひとりのために弾み続けるベース。めまいがするようなフィードバックののちに、彼らと彼女らは目配せをする。彼女は力強くスティックを打ち下ろす。彼女がそれを合図に、正確無比なリフで空間を切り裂く。それに応えるように彼は心臓に血を送り出す。そして彼女は不敵な笑みを浮かべ、マイクに向かう。やがて、音楽が生まれる。


すべてが終わったあと僕の耳に聞こえていたのは、そんな残像と、残響音だった。
この物語に出会えた幸運に、僕は心から感謝する。ありがとう。

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