豆腐

まだ夏じゃない

triad?

はじめて買ったギターは高校の修学旅行のとき、お茶の水の某有名楽器店で買った黒いレスポールタイプで、あこがれのギタリストと同じ形状というだけでワクワクして、旅行が終わって帰郷して数日後に届いたレスポールは、どういうわけか固く尖ったなにかで外装の段ボールごと貫かれていて、ボディにガッツリと穴が穿たれており、はじめて手に入れようとしていたギターをさっそく返品交換という素敵な思い出をくれたイケベ楽器さんにはお礼をしてもし足りない思いであり、あれからイケベで買い物をしたことはないわけだが、それはともかくギターというものに触れてからかれこれ20年弱が経とうとしているのに、その腕前は高校生の初心者コピーバンドに引けをとらないレベルで、音楽理論なんぞクソ喰らえ、パワーコードが弾けりゃそれでいい、の一念でやってきたが、適当にコード押さえてなんか気持ちいいとか気持ち悪いとかって感覚を紐解いていくと結局はスケール等の理論にぶち当たるわけで、ゴリゴリのハードコアやってるわけでもなし、なんでおれは理論を敵とみなしていたのか、と仏門に入るような気持ちでスケールの勉強というか暗記をチョロチョロとはじめたのがここ数年の話で、しかしながら老化した脳ではそれもおぼつかず、結局は鼻歌やmidiキーボードでなんか気持ちいい感じのメロディを拾うというスタイルになっているわけで、まっこと食わず嫌いは損をするなあとしみじみ思うわけだが、そんなおれでも昔からメジャーコードやマイナーコードの違いは分かるわけで、メジャーはなんか明るい響きで、マイナーはなんとなく寂しい感じに聴こえるやつのことでしょ? んなもん聴けばわかるっつーの! とまた理論は置いてけぼりにしてなんとなくそんな感じで認識しているのだが、これまた昔っから思うのは、なぜメジャーコードは明るく、そしてマイナーコードは悲しげな響きに聴こえるのだろう? ということで、ルート音から何度、何度を押さえて弾くとメジャー/マイナーといったことではなく、その音の響きがどうして人間の感情である喜怒哀楽を呼び起こすのだろうか、という問題で、これこれこういうのがメジャーマイナーという理論は分かるのだが、なぜそれが心を揺さぶるのだ? あるいはスケールと呼ばれるものから外れた音階を鳴らすと気持ち悪く感じるのはなぜだ? と音大出身者である同僚にたずねてみると、彼にもそれはわからんとのことで、音楽をちゃんと勉強したやつにわからんのならそれはもう誰にも分からんのではないか? と思いつつもそれではと集合知のちからを試そうとインターネット様にお伺いを立ててみるも、結局これだ! という答えは見当たらず、これはもう特定の周波数を検知するとそれらに対応する感情を発露させるシステムというか機構が脳に備わっているのでは? と推論するしかなく、しかしそれを確かめる術は今のところ見つかっておらず、それは無意識、あるいは本能といったレイヤの話になってしまうわけで、そういったわけのわからないものにおれたちが右往左往七転八倒東奔西走五里霧中しているのは実に不思議なことだとおれは思いつつ、昨日も今日も明日も、そういったようわからんものの集合である音楽をなんとなく聴いてはなんとなく楽しくなったり悲しくなったりしているわけであります。もしこの音に対する感情のブレを科学的に説明できる理論のようなものがあったとしても、個人的にはよく分からないけど、なんかいいなとか、あんまり好きじゃないな、みたいな曖昧な感じのままでいてほしい。どうでもいいけどおれはAmが好きです。