豆腐

まだ夏じゃない

23:20

中学生のころになんか面白そうだからみんなで覚えようぜっつって初心者向けの本読んで卓を囲んだのがマイファースト麻雀で、賭ける金もないから当然ノーレートだったしルールも点数計算もかなりあやふやだったけれどえらく面白かったのは今でもはっきりと覚えていて、高校卒業直前はみんな暇だからっつって放課後になったら高校の近くに住んでる奴(俺とは30年ほどに渡る腐れ縁である)のところに集まって、煙草の煙がもうもうとたちこめる狭くて汚い部屋にこもって点3とかのささやかなレート(とはいえ金のない学生にはわりとおおごとではあった)でアホみたいに牌を握り、その後俺を含め進学のために札幌に出てきた連中はまた先述の腐れ縁の友人の家に集うようになり、週末となればまずそいつんちの近くのスーパーでめしとして一斤100円くらいの食パンとでかいジャムなんかを買ってそんじゃやるかっつって、隣や下が空き部屋だったのをいいことに深夜に奇声を発したり歌ったりベース弾いたりしながら徹マンして(眠るのがもったいなくてそのままパチンコ屋に並んで誰かが大勝ちしたらそいつのおごりでたらふく寿司食ったりバイキング行ったりして、みんな負けたらふて寝して)夜になるとどうせやることねえからってまた麻雀をして、というようにわりと長く麻雀はやってきたし好きな遊びではあるけれど別に特別強いわけでもなく、卓を囲んだメンツがそれぞれ仕事やらで離れ離れになると牌を握ることもほとんどなくなり、今では20符固定計算の点数すら忘れかけている始末だが、たまにオンライン麻雀なんぞをやってみると麻雀というゲームは実によくできているなあとしみじみと実感するのはともかく、起源には諸説あるようだが俺のうろ覚え知識によるとこの麻雀は中国のなんとかってカードゲームが元になって生まれたそうで、暇で暇で死にそうでバイトもねえし金もねえしとにかく時間潰せるゲームねーかなーって部屋でゴロゴロしてた中国の俺たちみたいな連中がなんか遊びでも考えてみようぜっつって酒飲んだり学校のムカつく先生の話したりしながら作ったんだろうなと勝手に確信している次第で、だってそうでもなければこんなに複雑な役構成を考えたりその根拠がまるで読めない得点計算式を作ったりしないべさ、だからこそそいつらと同じような生活してた俺たちみたいなのが狂ったようにハマるんじゃないべか、と考えた石垣氏は罪深い大昔の俺らみたいな連中に対して一方的に「面白いもん作ってくれてほんとサンキューな」の意を表明したとのこと。そういえば中国の麻雀は日本より手牌が1枚多かったり、捨て牌を並べたりしないから他家の捨て牌全部覚えてないといけなかったりするとか聞いたが、これもうろ覚えなので人に話して赤っ恥かいても俺は知らん。