豆腐

まだ夏じゃない

21:32

最近わりと落ち着いた感はあるがヤケクソのように盛った野菜と、切るのめんどくさいだけちゃうんかという塊肉を乗せ、脂の層が2センチくらいありそうな豚骨ベースのラーメン、代表的なところで言うと二郎を一度は食ってみてえなあと思っているのだけれど、あんな高カロリー高塩分高中毒性物質なんて食ったらうまいまずい以前に命が削られるのは明白で俺のような老人の内臓があいつに耐えられるとは到底思えずラーメンに殺されるて終える人生ってある意味では幸せかもしれんが死んだらブログの更新もできんので、札幌二郎の近くに言っても店内の自殺志願者たちが丼と向き合うその背中を、トランペットに憧れてショウウィンドウに張り付く少年のように眺めるばかりで、二郎といえば昔ライジングサンロックフェスティバルで二郎リスペクトっぽい痔瘻的な、ひどいなこの誤変換、二郎的なラーメンっぽいサムシングを友達とワクワクしながら食ったらスープはぬるいし麺はぬるま湯にくぐらせただけとしかおもえん粉の塊で、後にその二郎リスペクトっぽい何かは、某ハードコアバンドのメンバーである超二郎マニアが自分で試行錯誤を繰り返し作ったところ評判を呼びいつしか知らんひとまでそのバンドマンのところに食いにくるようなものだったと知り、いくらライジングの二日目の深夜の食い物屋があからさまに手を抜いて適当に調理したものを出してくると理解していても到底許容できるものではなく、その二郎もどきのせいで二郎イコールくっそマズい出汁にクッソまずい小麦粉を沈めたものとして刷り込まれたからもしれず、しかしながら先に述べたようにいまさらあの量を食えるような生命力がおれさまに残っているとも思えんのでトラウマの上書きをしようとも思わんので、脂っぽくてくどくてくさくてしょっぱいラーメンが食いたいなら山岡家でええやん、その山岡家も5年くらい行ってないけどねという結論に至るわけだが、さっき例に挙げたトランペットといえばその昔、たしか小学生5年生くらいのときになんか知らんがメッチャトランペットに憧れて親にねだりまくって買ってもらったけれど、たぶん合計で3ヶ月くらいしか使わず、今となってはドレミファソラシドの運指もすっかり忘れてしまって押入れの片隅で眠り続けている始末で、俺がユーフォニアムを3話以降視聴していないのもその辺が関係しているのかもしれないというのは嘘で、やっぱりあのエンディング曲が聴いているとどうにも気持ち悪いからでトランペットにも二郎にも罪はないのだ、というように、こんな感じで思いついたことをただ垂れ流してどこにも辿り着かないとっ散らかったエントリを書き殴ることができたのは、ずいぶん久しぶりだなあと今、思った。